なぜ人は行動しない?「行動経済学」の理論にもとづき進めるクリエイティブの方程式

▼語り手プロフィール(右から)
株式会社DNPコミュニケーションデザイン
CBデザイン本部
東谷 なみ/Nami Higashitani

大日本印刷株式会社
情報イノベーション事業部 ハイブリッドマーケティングセンター サービスデザイン・ラボ
松藤 和夫/Kazuo Matsufuji

株式会社DNPコミュニケーションデザイン(以下、DCD)では、「メディア優先=メディアファースト」ではなく、コンテンツ(届けたい情報)を重要視し、第一に考える「コンテンツファースト」を掲げています。そのために、情報を届けたいターゲットの理解度を深めるユーザーリサーチ、的確な情報整理と設計を行い、実際にターゲットの意識や行動を変えるクリエイティブを生み出しています。その背景には、サービスデザイン・デザインシンキング・行動デザインの専門部署とDCDのディレクターとが密接に連携しているからこそ発揮できる強みがあります。

本記事では、DCDのクリエイティブの強みの一つとなっている行動変容を促すデザインメソッドと、実際に実施した例について、大日本印刷株式会社 情報イノベーション事業部ハイブリッドマーケティングセンター サービスデザイン・ラボ(以下、SDL)の松藤と、DCD CBデザイン本部の東谷が語ります。

  • 注釈行動科学(行動経済学)+デザイン=行動デザイン
    行動経済学や行動科学の知見を用いて、人の行動変容、習慣化を支援するデザイン手法です。
  • 注釈本サイトの「行動デザイン」は、欧米を中心に研究されている学術用語で、「Behavior Design」の訳語です。

1. サービスデザインの理論と実践をつなぐ、SDLの役割

SDLとはどのような組織なのでしょうか?

松藤:私たちSDLは、生活者・企業・有識者・クリエイターとともにイノベーションをデザインする、共創型の「サービスデザイン」手法の研究開発と実践に取り組む、広義のデザインチームです。

サービスデザインとは、生活者が感じる「体験価値」を重視し、個々のタッチポイントのデザインにとどまらず、事業としてサービス全体をデザインしていく行為を指します。簡単に言えば、事業者の都合だけではなく社会課題の視点や生活者の視点に立って、ユーザーが「理想的な成功体験」にたどり着くまでの道筋を描き、その達成を支援するための手法を考えているのです。

また、考案した手法が確実に役立つよう、DNPグループ内のディレクターへのレクチャーや、企画提案や制作時のアドバイザーとしての支援も行っています。このサービスデザインを具現化するための手法の一つが、DNPの行動デザインなのです。これは慶応大学との共同研究成果です。

DNPの行動デザインとは、具体的にどのような手法なのでしょうか?

松藤:サービスデザインで理想の体験を描いても、ユーザーは時に途中で離脱してしまうことがあります。そこで、ユーザーが離脱することなく理想の行動を促すために、行動デザインを取り入れました。DNPの行動デザインとは、サービスデザインの人間理解や意味的解釈を重視した発想に、科学的知見やデータの裏付けを持つ行動デザインのナレッジを取り入れた、「行動変容のための行動経済学に基づくデザイン」手法です。

この手法を制作メンバーの誰でも活用できるようにするため、2つの工夫をしました。一つはプロセスを体系化しワークショップ(以下、WS)のメニューを開発した点です。WSは「ターゲットとアクションの設定」「行動障壁診断」「アイデア発想」という3つのプロセスで構成されています。このWSを社内のディレクターが現場で活用できるよう、普及活動に力を入れているところです。

語り手の写真

もう一つは、DNPの行動デザインの重要な要素である認知バイアスやナッジを誰でも使いやすいようにカードにした点です。認知バイアスとは人がもっている思考の癖です。また人がしたいけどできていないアクションに対し認知バイアスを使い行動を後押しすることをナッジといいます。ナッジは数が多く理解が難しいのですが、誰でも理解しやすく思い出せるようにナッジカードにしました。

ナッジカードのひとつ

東谷:DCDでは、ディレクター全員が行動デザインを体現できるよう、習得に向けたセミナーを受講し、アイデア発想のためのWSを社内で開催しています。行動デザインのプロセスを積極的に案件に取り入れ、価値提供につなげています。

2. 「ナッジ」を駆使して、効果の出るクリエイティブ提案を

SDLが開発した行動デザインのメソッドは、制作の現場でどのように役立っているのでしょうか?

東谷:具体的な事例として、私が担当した三井住友カード様のプロモーションDMについてご紹介します。

この案件では、DMの送付対象者が直近1年間の利用がない休眠会員のため、通常の訴求をしても響かないという課題がありました。まず具体的に“ターゲットにしてほしいアクション”を規定するため、得意先と一緒にターゲットのペルソナ像を作成し、カスタマージャーニーマップを作成しました。

その後、“ターゲットにしてほしいアクション”を「忘れているカードを探して、1回使用してもらうこと」と規定。そのアクションに向かって、10名程度のWS形式で行動障壁診断とアイデア発想を行いました。WSでは「フレーミング効果」という情報を伝える視点によって人の認識や評価が変化する認知バイアスのナッジを活用し、カードを探すという行動の見方を変えました。カードを宝と見立てて宝探しゲームを提案するなど、さまざまなアイデアが出ました。

最終的に「宝探しゲーム」のアイデアをメインにクリエイティブに落とし込み、そのほかにもさまざまなナッジを利かせたDMを制作。通常の約3倍を超える反応率を獲得し、実際に行動デザインの効果を立証することができました。同じアイデアを核としていても、第一弾と第二弾でクリエイティブの方向性を変えています。

行動デザインのメソッドを活用して制作した三井住友カード様のプロモーションDMの一例

3. 合意形成の質とスピードを高める、WSの実践的価値

行動デザインのメソッド活用・WSの実施には、どのようなメリットがあるのでしょうか?

松藤:クリエイティブの根拠となるロジックを明確に提示できることが大きな利点です。

さらに重要なのは、定期的に同じようなデザインやコンテンツを作りがちな現場で、あらためて要件定義の根幹にある利用シーンを具体的にイメージしたうえで見直す機会になるという点です。提案までの期間が短いと「似たような前の案件を踏襲すればいいや」となりがちですが、発想のプロセスがメソッド化していることで、スピーディーに課題の見直しができます。

また、クライアントと一緒にWSに取り組むことで、課題の見直しから表現の方向性までをともに考えることができ、合意形成のスピードや質が大きく向上します。

WSは実際に制作にどのような変化をもたらしているのでしょうか?

東谷:要件定義と検討プロセスが目に見えるようになり、関係者間の合意形成が進みやすくなりました。WSにクライアントの上長なども参加してくださる場合は特に効果的で、課題解決のプロセスを共有することで、その後の承認がスムーズになる傾向があると聞いています。

また、WSを実施すると普段アイデアを出すことにそれほど慣れていない方々が「ちょっとしたアイデアでも声に出していいんだ」と感じて、より議論が活気付くことが多いですね。この変化は、WS設計の根幹にある「プレイフルシンキング」という思考法によるものだと考えています。プレイフルシンキングとは、遊び心を持って思考し、柔軟な発想や創造性を引き出すことを目的としたアプローチです。この考え方がプロジェクト全体に共有されることで、否定せずに多様な意見を受け入れようという姿勢になり、コミュニケーションも増えて日常的なやり取りも円滑になっていると感じます。

語り手の写真

4. 理論と実践の融合がもたらす、ユーザー視点でのクリエイティブ提案

行動デザインを活用するようになったことで、クリエイティブへの考え方にどのような変化がありましたか?

東谷:最も大きな変化は、ターゲットの特徴に合わせて、より生活者目線の提案ができるようになったことです。これまではどうしても発信者側の都合を優先しがちになっていた部分も、ユーザー調査を通してターゲット像をきちんと理解することで、よりロジカルに情報の取捨選択ができ、コンテンツファーストの考え方を実践できるようになったと感じています。

WSを実施しなくても、行動デザインのプロセスを活用して得意先への提案に生かしているケースも多くあります。行動デザインのメソッドを用いる場合、ターゲット像を絞り込み、“してほしいアクション”を具体的にする必要があるので、オリエンテーションで説明いただいた内容を整理し、媒体の目的や役割を明確に規定することになります。

目的や役割がクリアになることで、よりターゲットに刺さるアイデアやクリエイティブを発想しやすくなります。アイデア発想という工程をしっかりとるので、これまでとは違う新しいアイデアが出てくることも多々あります。

認知バイアスという人間の脳の働きをもとにアイデアを考えているので、クライアントのご担当者や上長の方にも「クリエイティブの根拠がわかりやすい」「説得力がある」といった評価のもと、納得して採用していただけることが非常に多いです。

SDLとして、DCDのディレクターから得られた新たな気づきはありますか?

松藤:東谷さんのような「新しいクリエイティブの可能性に挑戦しようとしている人たち」の力になれていることを、本当にうれしく感じています。デザイン=Designとは「de(壊す)、sign(新しく形作る)」が語源です。東谷さんの提案は、毎回まさにデザインの本質を体現していると感じています。

私たちが作っているメソッドは、それだけではただのうんちくになってしまいます。東谷さんたちディレクターが活用し、成果を出してくれているからこそ、自信を持ってもっと世に広めていこうと思えています。

今後ともクライアントの課題解決のために、WSなどをうまく活用しつつ、ディレクターやデザイナーとも協働して、さらに効果のあるクリエイティブの提案をしていきたいですね。

SDLと連携できる強みについて、どのように感じていますか?

東谷:「サービスデザイナー」という肩書を持つ専門家がDNPグループ内にいることは、外部に対してもインパクトがあると思います。第三者的な目線でサービスを整理して、学術的な視点でリードしてくれる存在として好影響が大きく、クライアントからの信頼も厚いです。

SDLの皆さんは非常に勉強熱心で、一緒にお仕事をすると、毎回新しい発見があります。最新の知見などを共有してくれることで、私たちも常に刺激を受けています。これからもSDLの皆さんが提供してくれる知見を生かしつつ、型にはまらない面白いデザインを積極的に提案して、クライアントの課題解決に貢献していきたいと考えています。

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